利休、竹二重切

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利休が天正18年(1590)の小田原攻の折、箱根湯本で伊豆韮山の竹を取り寄せて「夜長」(よなが)を作ったのが二重切の始めといいます。
ただ、『茶道筌蹄』に「利休二重切に上り亀の蒔絵をなし正親町天皇へ献す」とあり、この花入は伝存しますが、正親町天皇は天正14年(1586)には譲位しており、「夜長」より前の作ということになります。
また、二重切は千利休が水屋の切溜に用いていたものを茶席で用いたとされます。
二重切系の竹花入には、「端坊」、「二重鮟鱇」、「窓二重」、「再来切」、「三重切」などがあります。
「端坊(はしのぼう)」は、特に細長い二重切で、利休が門人の端坊へ与えたところからの名といいます。
「二重鮟鱇(にじゅうあんこう)」は、下の重が特に大きくなっているものです。
「窓二重(まどにじゅう)」は、上の重が円窓になっているものです。
「輪無二重切(わなし にじゅうきり)」は、二重切の上部の輪と柱を切り除いたものです。 「再来切(さいらいぎり)」ともいいます。
「三重切(さんじゅうきり)」は、二重切にもうひとつ切口があるもので、もとは水屋用のものだったといいます。
『茶湯古事談』に「二重切は利休か花の切溜の用に、勝手にかけしを、或時興に乗して其儘小座敷にかけしより、今も間々小座敷へも用ゆ、されと好さる事となん」、『生花之伝』に「二重筒は、利休の勝手花生也。然るを、座敷へも出されしとなり」とあります。 
『茶湯古事談』に「よなか、二重筒も利休作にて百会にいたせり、はし之坊と云も同作にて名高しとなん」、『槐記』に「今の世、利休の橋の坊の形也とて、二重の節をのべて切たる花生多し」、『生花口伝書』に「一 端之坊の事 二重切なり。内を黒漆にぬりて村梨地なり。寸法定り有よし、今高家の御秘蔵となる。是また小田原竹也。元竹を律僧と云、末竹を端の坊といふ。是も休の銘なり。京都の町人所持するよし云伝ふ。」とあり、同じときに「端坊」(はしのぼう)が作られています。