シェルカウイ演出による「スートラ」は、面白いステージでした。少林寺の僧侶たちとシェルカウイ、そして気鋭の音楽家による演奏。
本来は僧侶であって、音楽に合わせて動くことに慣れたパフォーマーではない彼らと、同じ呼吸で舞台を作り上げるために、音楽家たちは紗幕の向こう側から舞台を透視。同期された音と動き。
空間と身体の関係を表現するアーティスト、アントニー・ゴームリーによる箱は、僧侶達によって転がされ、倒され…。大量の木の箱は集合体としての同調を奏で、ひとつだけの鉄の箱は、集合体に与える特別なサインを奏でていたよう。10代半ばから20代半ばまでの僧侶達の中に、1人だけ6歳の子供。
大量の木の箱の中に、ひとつだけ鉄の箱。大勢の東洋人の中に、1人だけ西洋人。
西洋人の考える身体芸術から、東洋の少林寺が芸術を超えるものとして映り、生み出されたであろうこのインスタレーションは空間構成とともにとても興味深く思いました。
http://www.parco-play.com/web/play/sutra2016/