十日ぶりの和食。
京都のお食事は安心で美味しい。四季のある繊細な感性、しみじみ幸せを感じました。「祇園川上」本日完璧なり。
2011年7月アーカイブ
レストランやフレッシュフルーツとバーのカウンターなどいろいろなコーナーがあり、洗練されたデザインの香港のキャセイのラウンジを行きにも、楽しみましたが、荒野からの帰りにはほんとうに癒されました。ペニンシュラ監修のメニューでアンティパストは選んでサーブされます。スイカとニンジンのフレッシュジュースはほんとうに美味しい!
ヌルガンガはバワが造園から全て手がけた理想郷であり、遺言で遺骨が眠る場所。車が通るのが危ぶまれる畑の道を行き、辿りつきました。
五つの建物と広大な敷地のランドスケープを時間の経過とともに回遊しながら一日を過ごしたバワの豊かな人生があらわされていました。
出身地を拠点に活動した彼はあまり知られていませんが、スリランカにはホテル、大使館、国会議事堂、寺院など沢山の作品をのこしたのです。
どの国でも「愛」を書いてもらうのですが、いつも驚くほど素晴らしく出来上がります。今回はうちわがスリランカにはないということで、団扇に書いて完成となりました。子供達のエネルギーは凄く、元気をいただきます。
いよいよ今回の旅のメインイベント、ワークショップがはじまりました。
お寺で紅茶のおもてなしを受けてスリランカの伝統音楽の楽団とともに子供たちが待つ教室へ。
手作りの日の丸を振って出迎えてくれました。
今回は日本の震災の被害にあった子供たちへのメッセージとしてシンハラ語で「愛」を書いてもらいました。
バワの暮らした家には現代アートとアンティーク、西洋的な趣味とスリランカの歴史や風土を取り入れた美意識が散りばめられていました。写真集からは伝わらなかった光と風、そして、2003年に他界した彼がまだ生活しているかのような空気がありました。
ナンバー11は彼の世界観が凝縮しているバワが暮らしていた家です。1958年から30年にわたり袋小路に建つ4軒を買いとりながら改築を重ねていきました。
ジャングルの中に突然、姿をあらわす超巨石の岩山、シーギリアロックは古代からの仏教僧の修験場。5世紀の後半、それを侵しこの岩山の上に王宮を建てた王様がいました。11年間の王朝でした。その当時のフレスコ画が1875年に発見されたのです。
頂上まで登ると、このスリランカの地は、緑と水が豊かで超巨石が点在する強力な磁場を感じます。
ブラハミ文字とサンスクリットが混ざった古代の文字でシンハラ文字が成立する以前に使われていたと言われているそうです。有機的なかたちが私が書いているアヒルクサ文字に共通するのが興味深く惹かれました。
スリランカは約2600年前に北インドから渡ってきた人々と当地の混血によりシンハラ王国がつくられたと6世紀に編纂された王権神話にあるそうです。紀元前3世紀にはシンハラ仏教王国が栄え背景には大規模な貯水池潅漑がありました。その後のポルトガル、オランダ、イギリスの支配の時代を経た現在でも74パーセントはシンハラ人だそうです。
15世紀ころにできたというスリランカの文字、シンハラ語。丸く可愛らしいかたち。表音文字です。
開放的なテラスから出て、巨石の横にあるプールに飛びこみました。何とも不思議な浮遊感。遥か彼方まで続く大地を見下ろし、一体となりながら泳きます。ほんとうに写真では伝わりませんが、人生で訪れてよかったホテルのひとつです。
ダイナミックな解放感。
バワの晩年の作品、ヘリタンス・カンダラマホテル(1994)に4時間かけて到着。大自然のジャングルの中、岩と共生する建築です。モダニズムのデザインと自然の調和がいいバランス。お部屋に入ると猿の家族がテラスで寛いでいました。
コロンボ市内の1864年にできたコロニアル様式のホテル。やはり落ちつきます。海に面したテラスでの朝食は気持ちいい。
ホテルでステキなサリーをお召しの方にうかがった生地屋さんを訪ねてコロンボ市内のショップへ。
各フロアには様々なテキスタイルがあってワクワク。続々と人がやってきます。ビーズをあしらった華やかなものをいろいろ入手。
毎回、民族衣装を楽しんだ後、帯に仕立て直します。ベッドカバーにもしましょうかしら。旅の思い出のひとつです。
プールかビーチかどちらで泳ごうかと迷っていると目の前に恐竜?のような大きな蜥蜴?1メートルはありました。シャッターチャンスのがしました。
一方、可愛いリスも沢山。コバルトブルーの鳥も綺麗な囀りをしています。
スリランカも数年前に津波で大変な被害がありました。日本から来たというと「HOW ABOUT TSUNAMI?」 と必ず聞かれます。
バワの空間は風が呼吸しているのを感じます。
ジェフリー・バワは1919年、コロンボの裕福な家庭に生まれ、ケンブリッジで英文学を学び、その後弁護士に。そして、世界周遊の旅から戻り理想郷をつくろうとして、躓き、再びイギリスで建築を学び建築家としての人生が始まるのです。
明け方にようやくチェックイン。
今回の旅の目的のひとつはバワの建築巡り。
ジェフリー・バワの初期の代表的建築(1969)でありスリランカ最初のツーリストホテル、ベントタ・ビーチホテルに到着しました。
オランダ時代の要塞跡に建っている為、入り口もそのままワインカーブに入りこむよう。要塞を生かした建築は、なるほど、アマングループのホテルでお馴染みのデザインで、アマンの源であるバワの建築に早速、遭遇いたしました。
おやすみなさい。
300号の光の祝詞
完成いたしました。
アンダルシアから絞りたてですぐに圧縮したOLIVEOILの空輸。綺麗な翡翠色。初めてのお味!なんて美味しいの!
蒼い空に緑の光がまばゆいエネルギーを放ちます。夏の温泉もいいものです。疲れが飛びました。夏到来、今年は何がおこるかしら?
川のせせらぎを聞きながら鮎三昧。お部屋に吸い込まれるような深い書がありました。この山という字に感動がこめられていました。
モンゴルから飛行機が飛ばず、北京経由で何とか戻ってまいりましたが、京都お稽古には間に合わず、皆様には御迷惑をかけてしまいました。夕方からの打ち合わせにはギリギリ。
祇園の「さか本」でホッと一息。和食でホッコリです。
書のライブは生きている墨の黒、躍動する筆の力、本来の書が伝わります。
海外では特に、多くの方々が感動を直接話しにきてくださるのが嬉しく元気をいただきます。
モンゴルの街はマンションが増え、随分変わっていました。貧富の格差がすごく、デールという民族衣装をきた人々は減り、ブランドもので身をかためることが流行っているそう。何だか悲しい。しかし、モンゴルビールは冷えて出てきました。
神代文字で「ひかり」と書いた屏風がモンゴルへ。
15年ぶりにウランバートルに。
週末に、文筆家のお宅のお食事会にお呼ばれいたしました。
こだわった男子のお料理はさりげなく上質で、美味しいワインと共に至福なひととき。そして、ひとつひとつの選び抜かれた調度には物語が。片隅の川端康成の書が刻まれた時を放っていました。
日本書紀に流木が淡路島に流れつき、それが香木だという話があります。足利義政の時代に公家の三條西実隆が香宴の指導的役割を務め、香道の始祖といわれ今に受け継がれています。
8月29日月曜日5時より
香道御家流23代宗家
三條西堯水氏「香道を語る」日本雅藝倶楽部にて