朝にはハラリと落ちてしまう儚い妖精。
2014年6月アーカイブ
グリム童話の世界に入ってきてしまったような。
夜から朝まで咲く花、サガリバナを見に行きました。
今日はこの組み合わせにしてみました。
この時期、お稽古場の小さな庭の竹がニョキニョキ伸びます。切った竹が捨てるにはしのびなく、投げ入れてみました。
ようやく辿り着く戸隠神社奥社。古代の鉱脈から修験道、本地垂迹、神仏習合、、、、。しかし、自然の力溢れる素晴らしい場所には神も仏もすべてが一体になってみえます。
ゆるやかな参道をしばらくゆくと見えてくる赤い門。その奥の杉並木が絵のようにうつります。
戸隠神社、奥社に向かう参道は原生林に囲まれた自然な道、両側のせせらぎも清らかで、まさに神域へと禊がれていきます。
うぐいすも暑さをしらぬ山なれば常世の春と謡たひ鳴くらん
九十九里浜のポレポレ。削ぎ落とされたオーベルジュ。
天からの贈り物のような存在の芍薬。大好きな花。
月に一度の銀閣寺での和歌の会、幼い頃が親しんできた和歌をふたたび生活の中に入れようと通いだしましたが、季節とことばに向き合う時間が何よりここちよく感じられます。
私は感動する場面にあうと言葉が浮かび、和歌にあらわすことが、色、香り、空間、思いのすべてをあらわす表現なのです。
爽やかなミントが嬉しい、モヒートの季節になりました。京都の「葵」さんでモヒートのフローズン!初めていただきました。
今回の天ぷら松さんの器は初代の乾山。今までお出しいただいた画賛のものとは趣が異なり現代のものかと思いました。16世紀の当時、ポルトガルのタイルにインスパイアされてつくったのでしょう。裏のサインもことのほか、のびやかでした。
庭の草花の自然な姿を活けるのが好き。
ドクダミの八重。
かわいそうな名前ですが、清楚な姿は花入れによくうつります。江戸まではシブキという正式名称で呼ばれていたそうですが、貝原益軒の養生訓に十薬とあるようにその薬効から名が転じてしまったようです。
老子が詩的な思考に励んだときの中心概念をあらわすのが「タオ」。
ハイデガーも老荘思想に共通する思惟。ギリシャ哲学からキリスト教神学、近代のデカルト、、、西洋哲学と東洋哲学、、、世界の哲学を知ることは「今」を知ること。
オープン間近の虎ノ門ヒルズでコレクションがありました。フロアーをテーマのダラスに仕立て、ゲストもシーンの中にある一つの要素のよう。
ヨーロッパではエルメスのバックを夜、持つのはエレガントではなく、パーティーではシャネルのバックばかりということを思い出しました。
瞬間のスマートな一場面でした。